子供の頃は、長いタイトルの本や、長いタイトルが付けられた章というものになぜか違和感を感じていた。なんだか物語を簡潔に表現していないような気がしてたんじゃないかと思う。
それがいつの頃だろう。長い表題というもの自体、別に嫌ではなくなった。むしろ、長い表題自体に、"本当には語りつくせない物語"が内包されているような気さえする。
たとえば、『愛のかたち』(*1)という短編集に収録されているグロリア・サワイの『私がイエス様とポーチに座っていると風が吹いてキモノの胸元が開き、イエス様が私の乳房をご覧になった日のこと』。
タイトルに限らず、美しさのひとつの基準は非可換であること。他の何者にも置き換えられない唯一性があること。この短編とタイトルには、それがあると思う。
あるいは、ピノキオの章のタイトル(*2):
『How it happened that Mastro Cherry, carpenter, found a piece of wood that wept and laughed like a child』
『Fire Eater gives Pinocchio five gold pieces for his father, Geppetto; but the Marionette meets a Fox and a Cat and follows them』。
子供の頃にはまったく理解できなかったこの冗長性に、もしかしたら世の中を表現する何か、美しさと呼んでもよいと思うのだけれど、があるんじゃないかと思う。
『兵士シュベイクの冒険』も、確かそれぞれの章に付けられたタイトルは長かったよなぁと思う。残念なことに、Webで検索してみるが確認はできなかった。
(2006年1月25日, mixi 改)
(*1) 『愛のかたち』 ISBN 4000261428
(*2) http://www.classicreader.com/booktoc.php/sid.3/bookid.129/
コメント